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創価学会員と、1対1になって(面と向かって)
「創価学会の、おかしな点」を指摘すると
じつに、見苦しい姿をマの当たりにするコトとなる


例えば、創価学会員は―――――――
「池田大作は、誰が見たって
正しくて立派な人でしょ
・・・なんてコトを言う

そして、私が―――――――
「誰が見たって、正しくて立派
そんなコト、誰が言っているの
そんなコト、言っているのは、創価学会員だけでしょ
・・・と、正論を返す

↑コレ、よくあるパターン


さらに、私が―――――――
「創価学会は、日蓮正宗から破門されたのに・・・
日蓮正宗の本尊を無断でコピーして(一部の文字を消して、一部に筆を加えて)
それを創価学会のオリジナル本尊と言うコトにして
創価学会員(新・入会者)に配布して、祈らせている
道徳や道理として、誰が考えても、間違っているでしょ
・・・と、指摘する


すると、創価学会員は―――――――
「道徳や道理として、誰が考えても、間違っている
その道徳や道理って、誰が決めたの
ナニを基準に、いつ決めたの
・・・と、激昂する

↑前述のパターンと、似ているけど
じつは、大きく違うよ



その違いを、解説します

「池田大作は、誰が見たって正しくて立派」・・・

↑ 創価学会員は、こう言う言葉を吐いて
あたかも、それが「結論」で、あるかのように、話を進めたがるけど

ココで創価学会員が、言わんとしているコトは
「池田大作が、正しくて立派」に見えている人が
圧倒的に多い・・・と言う「多数決」や「統計」の話ではナイでしょ

もし「多数決」や「統計」の話だとすれば・・・
「池田大作が、正しくて立派」に見えている人なんて
創価学会員だけなんだから
事実誤認もハナハダシイ・・・と言うコトで、話は終わりだよね


要するに
ココで創価学会員が、言わんとしているコトは
「池田大作の行動は議論の余地もナク、誰が見たって、正しくて立派」
・・・と言う意味な訳でしょ

だから私は・・・
「日蓮正宗の本尊を無断でコピーして、一部に手を加えて
創価学会のオリジナルの本尊・・・と言うコトにしている事実」を
例に挙げながら
「道徳や道理として、誰が考えても、間違っているでしょ」と指摘している


それに対して、創価学会員は
「その道徳や道理って、誰が決めたの
ナニを基準に、いつ決めたの」・・・なんて言う

もう、それは

「私・個人に対して

噛み付いている言葉」

じゃなくて・・・


「世間の良識に対して

噛み付いている言葉」に

なってしまっているんだよ



「判りやすい例」に置き換えて

解説します


例えば
無差別殺人事件を起こした犯人に対して
創価学会員が・・・
「あの犯人は、誰が見たって、正しくて立派な人でしょ
・・・なんて、言ったとする


モチロン、私は―――――――
「誰が見たって、正しくて立派
そんなコト、誰が言っているの
そんなコト、言っているのは、創価学会員だけでしょ
・・・と、返す


さらに、私が―――――――
「無差別殺人の犯人なんて
道徳や道理として、誰が考えても、間違っているでしょ
・・・と、指摘する


すると、創価学会員は―――――――
「道徳や道理として、誰が考えても、間違っている
その道徳や道理って、誰が決めたの
ナニを基準に、いつ決めたの
・・・と、激昂する


↑創価学会員の激昂・・・って
中身は、コレと同じコトなんだよ


つまり、私は
1回目も、2回目も「道徳や道理」を基準にして
その人物が「正しい人なのか間違った人なのか」を判断している


創価学会員は「道徳や道理」を

基準にしないで

「池田大作は、正しくて立派」と言う

トンチンカンな話を

絶対的な基準に

してしまっているから・・・


「池田大作は、間違っている」と言う論拠(道徳や道理)を
突き付けられると・・・

「その論拠(道徳や道理)が、間違っているんじゃないのか
・・・と、思ってしまう
(考え方が、逆転してしまっている)

間違っているモノ(池田大作/創価学会)を
「正しくて立派」・・・なんて、思ってしまうと
今度は「正しいモノ」が「間違っている」ように
思えてしまう


創価学会員が陥る現象・・・

「頭破作七分(ずはさしちぶ)」

と言う悩乱


天地が逆転したように

「モノの道理」が判らなくなる「罰」

創価学会員は、まさにコレ


創価学会員と、1対1になって
「創価学会の、おかしな点」を指摘すると

「その道徳や道理って、誰が決めたの
ナニを基準に、いつ決めたの」・・・なんて、セリフが、飛び出して来る

「道徳」や「道理」・・・って
「誰が、ナニを基準にして、いつ決めた」とか
文献が残っているモノじゃないんだからさ~

極々当たり前の「道徳」や「道理」を
受け入れたくナイが為に・・・
(池田大作は、ろくなもんじゃナイと、認めるコトになってしまうから)

「その道徳や道理は・・・誰がナニを基準にしていつ決めたの」・・・なんて
キチガイ丸出しのイチャモンをつけて、悪アガキをする

本来ならメチャクチャな理屈を言って
自分を正当化している人々に対して・・・
宗教をやっている人が「道徳」や「道理」を説くモノなのに


「創価学会」や「オウム真理教」のような
間違った教育をしている信仰団体→いわゆる「カルト宗教」は
無宗教の人々でも、判る「道徳」や「道理」さえも
判らなくなってしまう


宗教的な言葉で言うと・・・

それも「邪宗教」の害毒なんだよ


ナニが道理で、ナニが道理じゃナイのか・・・
「公式なルール・ブック」みたいなモノが、存在する訳ではナイし
キッチリとした線引きをするのは、ムズカシイけど
一定の共通認識は、存在している

それなのに
「その道徳や道理は・・・誰がナニを基準にしていつ決めたの」・・・なんて
言い始める創価学会員

第三者が見ている場(ネット上など)で、対話をすれば
創価学会員が、大恥をかくだけ



創価学会は「1対1で対話をしましょう」・・・なんて、言うけれど

結局1対1になれば、密室であるのをイイコトに
天地が逆転した「頭破作七分の理屈」を言いまくるだけだよ


「1対1の対話」って・・・
目の前にある「真っ黒いモノ」を指して「アレは、真っ白だ」と主張しても
「フィフティ・フィフティ」の見解として、聞かざるを得なくなるから
トンチンカンな論理を展開したい人にとっては、好都合



その実態を象徴する話

創価学会と言う組織は「自己矛盾」や「自語相違」について・・・
世間から、いろいろ指摘されている


理路整然とした反論があるなら

オオヤケの場で

創価学会(組織)の

「公式見解」を示せばイイ


そのコトについて、創価学会員は――――――――――――――
「公式見解を発表すると、誤解を招くから、発表しないんだ」
・・・などと言う

「公式見解を発表しないと、誤解を招く」・・・と、言うのなら判るけど
創価学会員いわく、その逆です

本来「誤解を解く為に、説明がある」のにね~
ドコが「対話の団体」だよ


そして、1対1になると
「池田大作は、誰が見たって
正しくて立派な人でしょ
・・・と言う話が始まっちゃって

↑それを「フィフティ・フィフティ」の見解として
聞かざるを得なくなっちゃうんだよ 困ったモノだ
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